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江戸時代から学ぼう

2023年1月8日から12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ「どうする家康」は室町時代後期から江戸時代前期に時代設定され、徳川家康の生涯が描かれています。

 

家康によって築かれた江戸は人口100~125万人の大都市でしたが、ごみの少ない、世界的に大変きれいな町だったといわれています。

 

米の副産物である藁は、蓑、草履、草鞋、畳、牛や馬の餌など様々な形で無駄なく使われていました。

 

使い終わった藁は肥料になったし、燃やしても灰はカリ肥料になりました。

 

下水道の普及する前のヨーロッパでは、都市に住む庶民のトイレの主流はおまるで、おまるが満杯になると川や排水溝に捨てていたといわれており、都市人口の増加に伴い、汚物が街路に投棄されるようになり、都市の衛生状態は悪化し、ペストの大流行によってヨーロッパでは人口の三分の一が失われる大惨事となりました。

 

一方、江戸では、下肥は貴重な肥料として扱われ、見事なリサイクルシステムが出来ていました。

 

現在、日本は多くの物を輸入に頼って、大量生産・大量消費の生活をしていますが、江戸時代では、モノが不足し、あらゆるモノを資源として再利用しなければならなかったため、現代人の感覚からはごみにしかならないものを効率よく回収し再利用することが当たり前だったのです。

 

庶民の衣類のほとんどは古着で、穴が空けば端切れで繕い、大人の着物が古くなれば、子ども用に仕立て直し、仕立て直しが難しくなったら、端切れを売ったり、雑巾やおむつにして、使い切っていました。

江戸の町には4,000軒もの古着商がいたともいわれています。

 

鍋・釜など金物の壊れた部分を修理する「鋳掛屋(いかけや)」、桶を修理する「箍屋(たがや)」、包丁などの刃物を研ぐ「研ぎ屋」などが町中にあり、鍋釜などの金属類は壊れたから捨てることなどありえず修理を繰り返して愛用していました。

 

江戸時代は鎖国による封鎖された社会でしたが、植民地戦争が日常化していた世界の中で250年間、戦争のない時代が実現していました。

 

そして、エネルギーをほとんど使わない自然と調和した循環型社会だったのです。

 

いまこそ200 年以上にわたって環境を汚すことなく、平和で高い文化を発展させた持続可

能な開発のお手本だともいわれている江戸時代から多くを学ぶべき時ではないでしょうか。

ナチュクリじいさんの辛口コラム

運営会社:暁石鹸株式会社

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